支倉 江戸時代初期1615年に、伊達政宗が派遣した支倉常長ら慶長遣欧使節団が、教皇パウロ5世拝謁のためローマを訪問してから今年でちょうど400年。

当時ローマの港だったチヴィタヴェッキアやローマには僅かながら、支倉常長らゆかりの場所があります。チヴィタヴェッキアは今やクルーズ船寄港地として日本人も多く訪問しながら、日本と縁の深い街であることはあまり知られていません。 支倉常長らはローマ市公民権まで授与されながらも、日本帰国後、鎖国や禁教令など歴史の不運に埋もれ、その業績や見聞は明治時代まで世に知られることもありませんでした。 そんな歴史ロマンの跡をチヴィタヴェッキアとローマに辿ってみましょう。

*慶長遣欧使節とは?www.santjuan.or.jp/bautista/mission.html (宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館 HP)

*さらに興味のある方は:www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou/hasekura (仙台市博物館 HP)

 

◆チヴィタヴェッキアCivitavecchiamap

ローマの北東78km。列車で約1時間(最速42分)、多くのクルーズ船も停泊。

歴史的には古代ローマ時代にトラヤヌス帝が設立し港として栄え、16世紀には教皇領の拠点となり発展しました。オペラ『トスカ』の歌の中にも名前が登場します。中世の街並は、第二次世界大戦の空爆で破壊されましたが、トラヤヌス帝浴場遺跡I Terme di Traianoや、ミケランジェロが1535年に完成させたミケランジェロ要Spiaggia Civitavecchia塞 Forte Michelangeloなどは今も残っています。また、夏、ビーチや海岸通り沿いのレストランやバーは海水浴客や地元の人々で賑わい、港に停泊する多くのクルーズ船の眺めや古い城壁跡も壮観です。

*チヴィタヴェッキア市観光HP  www.civitavecchia.net/

 

必見!日本ゆかりの場所■

日本殉教者教会 Chiesa dei Santi Martiri Giapponesi

日本聖殉教者教会1862に建てられたフランシスコ会の教会で、戦国時代の1597年長崎で殉教したキリシタンや宣教師ら日本での最初の殉教者26人のため建てられました。第二次世界大戦で空襲を受け、戦後改築の際、日本人画家長谷川路可が1951年から6年かけて祈るように描いたフレスコ画には、着物を着た聖母子、殉教者、支倉常長、ザビエル、アッシジの聖フランチェスコらが描かれています。和服姿のマリア像を見られるのはイタリアでもここだけです。チヴィタヴェッキア日本人殉死者教会

http://santimartirigiapponesi.jimdo.com/ (教会HP)

Via Vittoria 39 (Largo S.Francesco), Civitavecchia TEL:0766-673917

アクセス:駅から正面階段を数段降りて左に徒歩約8分。クルーズ船港からは海岸沿いに徒歩で20-30分歩き、海に突き出た海水浴場施設Pirgoのさらに先を左に入る。教会正面に建つ聖フランチェスコ像が目印。

支倉常長像 Statua di Hasekura Tsunenaga
イタリアで見るサムライ像。400年前の苦難の旅路に思いを馳せずにはいられません。

イタリアで見るサムライ像。400年前の苦難の旅路に思いを馳せずにはいられません。

使節団の上陸地チヴィタヴェッキア市と、出航地の石巻市はその縁で姉妹都市条約を結んでおり、支倉常長像は20周年記念として1991年に慶長遣欧使節団の渡航ルートを示した碑とともに建てられました。 像の後ろには古い城壁跡や中世の門Porta Livornoがあり、その先は港。クルーズ船が停泊する港からも歩いてすぐです。鉄道駅からの場合は、国道1号線アウレリア街道の一部でもある通りを港Port方面に進み、アーケードがあるグリエルモ・マルコーニ通りCorso Gugliermo Marconiを抜けてすぐ左に銅像はあります。道路反対側右側は緑茂るルイジ・カラマッタLuigi Calamatta広場です。 

 

◆ローマRomaでの使節団

当時完成したばかりのサンピエトロ広場周辺を一行は正装姿で大行列!

当時完成したばかりのサンピエトロ広場周辺を一行は正装姿で大行列!

支倉常長ら一行はローマの外港チヴィタヴェッキアに到着した後、1615年10月25日にクイリナーレ宮殿Palazzo del Quirinaleでローマ教皇パウロ5世の歓迎を受けました。そして28日には一行はローマ市入場の大行進をサン・ピエトロ広場周辺からサンタンジェロ城、そして宿舎だったアラコエリ(アラチェリ)教会へと行いました。11月3日には教皇パウロ5世の正式な謁見が行われ、11月9日には常長と主な随行員にローマ市民権が与えられましたが、2か月の滞在の後1616年1月、教皇から与えられた伊達政宗への書簡や贈り物、旅の資金とともに、一行は1月7日スペインへ出発しました。当初の目的であった通商についてはスペイン国王に一任されローマ教皇からの同意は得られませんでした。

常長がローマ大行進の際着用したであろう白地に金糸銀糸を施した美しい装束姿で描かれた大きな肖像画がイタリアに残っています。これは、教皇の甥で、ローマ滞在中の一行の世話役でもあったボルゲーゼ枢機卿が描かせた「支倉常長像」(ボルゲーゼ家所蔵)で日本でも何回か公開されました。また、ヴァティカン図書館には、伊達政宗からローマ教皇への親書が今も保管されています。尚、教皇から使節団への贈り物のなかには、キリスト信者姿の絵画『支倉常長祈祷像』も含まれており、こちらは日本に持ち帰られ、現在では国宝及びユネスコ記憶遺産登録資料として、『ローマ教皇パウロ5世像』とともに仙台博物館に所蔵・展示されています。

クイリナーレ宮殿クイリナーレ宮殿Palazzo del Quirinale

現在はイタリア共和国大統領官邸ですが、1870年まで教皇の住居及び教皇領政府の役所でした。教皇が来賓を迎える謁見の間『王の間Sala Regia』には外国からの賓客や大使が描かれたフレスコ画があり、その中に支倉常長や宣教師ソテロら慶長遣欧使節団数名も描かれています。クイリナーレ宮殿内部は一般の見学も可能です。http://palazzo.quirinale.it/visitapalazzo/prenota_en.html

 

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