イタリアの旅:オススメの旅

【ミラノ連載:ミラノ市観光局協力~お勧め情報2】

ミラノ市内にはパラッツォ(宮殿、邸宅)が点在し、現在も様々な用途で使用されています。
今回お届けするのはこの2つの宮殿です。

ミラノ市内マップPDF

クレリチ宮殿
palazzo clerici≪歴史背景について≫
クレリチ一族がこの宮殿を買い取り、オーストリアによる支配の時期、一族の影響力と権力を強固なものにしながら、1600年代中頃~1700年代終わりにかけて住居としていました。この時期、この宮殿は、ミラノの待ちで最も豪華な住居の1つでした。
落ち着いた外観とは逆に、内部の装飾は豪華絢爛。正面玄関の中央部分は、中庭内部に馬車が直接入れるよう、設計されています。立派な正面に配された大階段は、ミラノにある宮殿の中でも唯一の建築であり、東洋の洋服を着た女性たちの彫刻が飾られています。
1740年、ジョルジョ・アントニオ・チェリーチは、画家ジャンバッティスタ・ティエーポロに、迎賓ギャラリーの天井を装飾するよう注文しました。(写真)

≪見どころは?≫
ティエーポロのフレスコ画。
空を横切る“太陽神 凱旋車の疾走-La corsa del carro del Sole”を表現したもので、空はオリンポスの神々が住み、大陸を象徴する地上の生き物たちに囲まれています。室内は全て“ボワズリー(16世紀のかつての貴族の館に施された室内装飾様式の1つで気に彫刻を施した壁)”で囲まれており、彫刻芸術において、ロンバルディア地方が18世紀にたどりついた絢爛かつ芸術的な洗練な様式を伝えます。

マリーノ宮殿
≪歴史背景について≫
palazzo marinoこの宮殿は、ジェノヴァの銀行家で商人の伯爵トンマーゾ・マリーノが家族の居住とするため、建築家ガレアッツォ・アレッシへと1557年~1563年の間に発注。伯爵の死に際し、一族は深刻な経済打撃をむかえたため、1577年、行政機関により、宮殿が差し押さえとなりました。
続く数年後、政府は銀行家オモデイの相続人に邸宅を売却しましたが、彼らは部分的に修復したものの住むことはありませんでした。そのため邸宅自体は“デイ・マリーノ(マリーノ一族の)”と呼ばれ続けます。
1781年、政府は再度、建物を購入し、ピエールマリーニ指揮の下、様々な箇所の修復を許可。そしてイタリア統一(1861年)が行われた日の翌日、建物は中央市庁舎となります。スカラ座広場に面しているこの建物の現在のこの姿は、建築家ルカ・ベルトラーミにより1892年に行われた修復と、そして1943年の戦火での爆撃による特に「アレッシの間」への被害を受け、第2次世界大戦後に行われた修復が功を奏した結果です。

≪現在の宮殿と今後の予定について≫
市の行政活動に寄り添って存在してきたマリーノ宮には、市民に向けた文化イベントのためのスペースも設けられています。既に公開されているスペースは、コルティーレ・ドノーレ(中庭)、アレッシの間、マッラの間、市議会の間、時計の間、評議会の間。また今後は、テンペレの間、デリ・アラッツィの間、トリニタの間、そして復活の間が修復を終えて公開される予定です。

情報元:ミラノ市観光局
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