イタリアの旅:オススメの旅

【ミラノ連載:ミラノ市観光局協力~お勧め情報5】

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新スポット

ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、というとダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で有名なスポット。
絵画と教会の美しさもさることながら、2015年より、ここに新しい注目スポットが誕生しました。

≪レオナルド・ダ・ヴィンチのブドウ園≫
芸術家の生きた当時を思い浮かべながら、行ってみたいこのブドウ園。

レオナルド・ダ・ヴィンチのブドウ園は、カーザ・デリ・アテッラーニ(アテッラーニ家の邸宅)の庭園奥の畑の真ん中あたりに位置していました。
アテッラーニ家は、(ミラノを支配した)スフォルツァ家に仕える宮廷家族。スフォルツァ家ルドヴィコ・イル・モーロより、2つの家を譲り受けました。
モーロは当時、この街の一画で、2つの夢を叶えたいと考えます。ひとつは、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を、スフォルツァ家の霊廟に変えること。そしてもう一つは従順に仕える忠実な人間、例えばアテッラーニ家、あるいはレオナルドのような人物が住まう居住地区を作ること。
アテッラーニ家の邸宅は、彼のこうしたルネサンス期に生まれた夢を形に残す、数少ない痕跡なのです。

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街中とは思えない静けさと当時を感じる空間へ

レオナルド自身は、1482年にスフォルツァ家イル・モーロの宮廷のあるミラノへ移り住み、その16年後の1498年、モーロよりこのブドウ園をプレゼントされます。
その後レオナルドはブドウ園を2つに分けて譲ります。一つはジョヴァンニ・ヴィッラーニ(最後までレオナルドに仕えた人物)へ、一つは弟子のジャン・ジャコモ・カプロッティへ。ヴィッラーニはその土地を修道院へ譲り、カプロッティはその土地に自身の家を建築、しかしその後暗殺され、別の人物へ譲渡されます。
こうしてレオナルドのブドウ園は4世紀もの間忘れ去られていました。

時を経て、レオナルドを愛する建築家ルーカ・ベルトラーミ(1854-1933)が、古い資料などからその正確な位置を突き止めることに成功。
その後、彼によって分かったこの場所は管理保存され、研究は続行。そして世界大戦中の1943年の空爆により地中に埋まったブドウの樹木が植わっていた列の跡が見つかります。
さらには、地中の有機体などの調査により、レオナルドにより耕作されたブドウのDNA(ブドウ種:Malvasia di Candia Aromatica)へさかのぼることもできたのです。

十二宮の間

十二宮の間

≪アテッラーニ家とその邸宅≫
アテッラーニ家はもともと南イタリア出身でしたが、スフォルツァ家に仕えるため、ミラノへ。
邸宅はルネッサンス様式。邸宅内にある部屋も見応えあります。
♦Sala dello Zodiaco/十二宮の間:1544年に記載された資料によると、ルネッテ部分(半円形の明り取り)に描かれた12宮(星座)がその名の由来。イタリア地図などともに、羅針盤や季節を表す絵が描かれている。
♦Sala del Luini/ランプの間:スフォルツァ家の肖像画の間。
♦IL GIARDINO DELLE DELIZIE / 喜びの庭園:夕食やイベントを開催した庭園。1800年代には一時、イギリス風ロマンティック庭園へ改装されましたが、その後、遠近法を使い、アンフォレや泉、自然を利用した現在の形へ。

≪公開へ≫
ミラノ市関連団体などの支援を受け、この邸宅の所有者は、レオナルドのブドウ園を再建することを決意。そして昨年2015年のミラノ万博を機に、このアテッラーニ家の邸宅と庭園は、一般公開されることになりました。
訪問の所要時間は約25分程で基本的にツアー形式。10か国語のオーディオガイド(日本語有)が準備され、7つの行程に分けられています。最大25人未満のグループには、15分おきに同行ガイドがつきます。
これから高まる人気が予想されるため、訪問希望の方は、予約がおすすめです。

公式サイト:Museo Vigna di Leonardo(オンライン予約可能:英語)

様子を動画で。。

情報元:ミラノ市観光局
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