イタリアの旅:オススメの旅

ラッファエッロ500 part.2

#ラッファエッロ500 #Raffaello500 シリーズ第2弾。
成熟期からその後の彼の足取りを追います。

≪ラッファエッロ、成熟期へ≫

フィレンツェ滞在中に、ウンブリア州そしてマルケ州からも依頼が届きます。
ペルージャからは祭壇画2つとサン・セヴェーロ修道院内の教会のフレスコ画を依頼され、そしてウルビーノの宮廷からは、グイドバルド・ダ・モンテフェルトロの肖像画、エリザベッタ・ゴンザガ公爵夫人と後継者であるグイドバルド・デッラ・ロヴェーレの肖像画を依頼されます。(現在は全てウッフィツィ美術館所蔵)
そして「オルレアンの聖母」など貴重な絵画の依頼を実現。

Raffaello,_affresco_della_cappella_san_severo_2
サン・セヴェーロ修道院内

フィレンツェでの生活はラファエッロにとって、1400年代(マッサッチョからドナテッロに至る)の絵画モデルへの知識をさらに深める機会となるだけでなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといった時代の最先端をいく芸術家たちに触れる機会となりました。
Raffaello,_pala_baglioni,_deposizione

バニョーニの祭壇画(ボルゲーゼ美術館、ローマ)

ラッファエッロは特に、調和のとれた構図を作り上げるレオナルドの技術に魅せられます。
また、ダイナミックな動的な動きと色彩あふれる絵画を描くミケランジェロにも魅了されました。
そのため、「ラ・ドンナ・グラビダ(Donna gravida)」(パラティーナ美術館所蔵)、「アニョーロ・ドーニの肖像画」と「マッダレーナ・ストロッツィの肖像画」(双方ともウッフィツィ美術館所蔵)、「ユニコーンと若い女性」(ボルゲーゼ美術館所蔵)、「無口な女(La Muta)」(ウルビーノ、マルケ州国立美術館所蔵)などの肖像画のスタイルはレオナルドの影響が見受けられます。

この時期のラッファエッロの作品として代表的なものが、「バニョーニの祭壇画」。
この絵画においてラッファエッロは、死という悲劇的なテーマをミケランジェロのようにダイナミックに描きます。
Madonna_del_Baldacchino
バルダッキーノの聖母、フィレンツェ、パラティーナ美術館

フィレンツェのパラティーナ美術館所蔵の「バルダッキーノの聖母」は、未完ではあるものの大きな動的なエネルギーを感じる作品であり、次世代の画家たちであるアンドレア・デル・サルトやフラ・バルトロメオにインスピレーションを残しました。

≪ラッファエッロ、ローマにて≫
1508年、ラッファエッロはローマに呼ばれると、依頼された仕事のいくつかを未完のままにし、早々にフィレンツェを後にします。
ローマで向かった先、それは教皇ユリウス2世のもと。
当時、彼の指示で街を再開発していたことから、ミケランジェロやブラマンテなどの芸術家たちを呼びよせていたのです。

ENIT_Raffaello_ScuolaAtene
アテネの学堂(ヴァティカン博物館)

ラッファエッロはローマで、他の芸術家らとともに、教皇の新しい住居の装飾にあたります。
これが今も有名なヴァティカン博物館の内部です。
最初に手掛けた部屋、「署名の間」が満足のいくものに仕上がると、次なる依頼を受けます。
住居内部の「ヘリオドロスの間」、「ボルゴの火災の間」、「コスタンティーノの間」です。

 

ENIT_Raffaello_VillaFarnesina

ヴィッラ・ファルネジーナ(現在はアッカデミア・デイ・リンチェイ)

その後ラッファエッロは、裕福な銀行家アゴスティーノ・キージからも依頼を受けます。
現在は国立科学アカデミーとなっている、ヴィッラ・ファルネジーナに様々なフレスコ画。
「ガラテイアの勝利」、「アモーレとプシュケの間」の他にも、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会、サンタ・マリア・デル・ポーポロ教会内キージ礼拝堂の「シビルズと天使」が制作されました。

≪その他の作品≫
こうしたフレスコ画などの作品の他、この時期、多くの肖像画を残したラッファエッロ。
代表的なものとして、現在はプラド美術館所蔵「枢機卿の肖像画」、ルーブル美術館所蔵「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像画」、その他にも「トンマーゾ・インギラーミの肖像画」、ウッフィツィ美術館所蔵「教皇レオ10世、ジュリオ・ディ・メディチ枢機卿、そしてルイージ・デ・ロッシ枢機卿の肖像画」など。
しかし中でもロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵「教皇ユリウス2世の肖像画」は、これまでとは異なり対角線構図を取り入れています。
またローマのパラッツォ・バルベリーニ国立古代美術博物館所蔵の著名な絵画、「ラ・フォルナリーナ」でもそうした構図を観ることができます。
ENIT_Raffaello_LaFornarina
「ラ・フォルナリーナ」国立古代アート美術館所蔵、パラッツォ・バルベリーニ(ローマ)

そしてこの時期のラッファエッロの作品で躍進的な変化を遂げたもの、それは祭壇画。
ヴァティカン博物館所蔵「フォリーニョの聖母」、ドイツのアルテ・マイスター絵画館所蔵「システィーナの聖母」、ボローニャ国立美術館所蔵「聖セシリア祭壇画」はその代表的な作品です。

≪ラッファエッロ、工房を開く~全盛期≫
名前が世に知られるようになると、ラッファエッロは自身の工房を開くことをついに決意しました。
この工房では当時の若き芸術家たち(ジュリオ・ロマーノ、ジョヴァンニ・ダ・ウーディネなど)が学んだだけでなく、既に当時名が知られていた芸術家らも彼のもとで学びました。

1514年、ブラマンテが亡くなると、キリスト教の総本山としての地位を確立していたサン・ピエトロ大聖堂の芸術監督にラッファエッロは任命されます。
サン・ピエトロ大聖堂計画では、これまでのブラマンテの建築構図を一部改め(クーポラ構成は残される)、新しい構成を導入することになりました。
直交射影を取り入れ、ブラマンテが計画した正方形の一端を延長したラテン十字の平面形での設計へと変更したのです。
さらに、システィーナ礼拝堂のためにタペストリー制作も依頼されました。

ENIT_Raffaello_SanPietro
サン・ピエトロ大聖堂(ヴァティカン市国)

ローマでは、“ラッファエッロ建築計画”により、ブランコニオ・デル・アクイラ宮殿(今は失われている)、ブレシア宮殿(1936年に取り壊される)、そしてアルベリーニ宮殿(現存)が建てられました。
しかしマリオの丘(ローマの7つの丘のひとつ)の斜面に造られるはずだったヴィッラ・マダマは未完に終わりました。

≪全盛期のまま≫
この時期ラッファエッロは、ヴァティカン市国のニッコリーノ宮殿の内部装飾も手掛けます。
これはブラマンテにより開始され、今はロッジャ・ディ・ラッファエッロとして知られるもの。

ENIT_Raffaello_LoggeRaffello
ロッジャ・ディ・ラッファエッロ、ニッコリーノ宮殿(ヴァティカン市国)

さらにジュリオ・デ・メディチのために制作した「キリストの変容」(ヴァティカン博物館所蔵)を制作。
そしてこれがラッファエッロの人生の最後の作品となりました。

芸術家としての全盛期にいたラッファエッロ。
15日間に渡り高熱が続いた後、1520年4月6日、まさに自身の37才の誕生日にその生涯を追えました。
ラッファエッロの遺体はパンテオンの中に埋葬され、ピエトロ・ベンボ(当時の枢機卿の一人)により、このように書き記されています。
“Qui giace Raffaello: da lui, quando visse, la natura temette d’essere vinta, ora che egli è morto, teme di morire”.
「ここにラッファエッロは眠る。彼がこの世に生を受けている間、自然は敗北することを恐れていた。しかし彼がこの世を去った今、死を恐れている。」

しかし、ラッファエッロの存在はその後も忘れられることはありません。
事実1869年、ウルビーノには、天才ラッファエッロの芸術とその記憶を後世に伝えるために、伯爵ポンペオ・ゲラルディによりラッファエッロ・アカデミーが設立されました。
アカデミーは、講演、奨学金などの他、現在も広報誌などを通し、ラッファエッロに関する研究普及を続けています。

情報元:イタリア政府観光局ローマ本局サイト

本サイトあるいは本サイトに包括されているサードパーティーの媒体は、クッキーポリシー内に記載された機能及び目的達成のために必要となるクッキーを利用します。
さらなる詳細を確認する、あるいは、関連する一つあるいはいくつかのクッキーへの承認を無効にするには、クッキーポリシーをご参照ください。
このバナーを閉じる、本ページをスクロールする、リンクをクリックする、あるいはその他方法でのナビゲーションに従うと、クッキー使用を許可したことになります。