2021.05.10

<ダンテ700> ダンテの痕跡をたどる ~フィレンツェ編 2/2

さあ、次はダンテの気配が濃厚に感じられるエリアへ…

≪ダンテ・アリギエーリがフィレンツェで過ごした期間(略歴)≫
1265年:フィレンツェで生を受ける
1274年頃:ベアトリーチェに恋をする(9歳)
9年後、サンタ・トリニタ橋で再会し片思い(?)
1285年頃:ジェンマ・ドナーティと結婚
1302年3月10日:フィレンツェ追放

6. ダンテエリア
教会を出て右手に曲がると、かなり多くの住居がひしめく地区に差し掛かります。

狭い通りと中世から続く住居が密集したエリアに、ダンテは住んでいたと思われます。
昔はこのあたりにも、多くの塔が建っていた痕跡があります。
現在博物館として残っている「ダンテの家」は、中世の塔の家のレプリカで当時を思わせる作りとなっていますが、実際にどの家にダンテが住んでいたのかはわかってはいません。
このエリアにはダンテの「神曲」に関わる記念石碑を通りに見つけることができます。
数はすべてで33、すべて見つけることができるでしょうか?

ダンテの家 : on-lineでのバーチャル訪問ができます
https://www.museocasadidante.it/tour-virtuale/

7.大聖堂 & サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ダンテが「神曲」内でも “美しき私のサン・ジョヴァンニ”と記しているサン・ジョヴァンニ洗礼堂。
ここはダンテ自身が洗礼を受けた場所でもあります。
印象的なのは、やはり内部のモザイク。

天井いっぱいに描かれた天国と地獄のビジョンは、ダンテが「神曲」で描いたイメージに共通したものをかんじることでしょう。
大聖堂には、ダンテと「神曲」を題材に描かれたドメニコ・ディ・ミケリーノ(15世紀)による絵画が残ります。


大聖堂の裏手の大聖堂博物館には、当時の大聖堂のファサードが保存されていますが、その中に、ダンテと対立した立場あり、「神曲」でも語られているボニファティウス8世の彫刻が残ります。

8.バディア・フィオレンティーナ修道院とバルジェッロ博物館
ゴシック様式の鐘楼が特徴のバディア・フィオレンティーナ修道院。
10世紀後半に設立され、宗教的にも、政治・商業活動にも重要な役割を果たしました。
パラッツォ・デッラ・シニョリーアの以前は、ここがフィレンツェ共和国の中心の一つでもあったのです。

ほんの少し進むと、バルジェッロ博物館に到着します。
1250年にカピターノ・デル・ポーポロの宮殿として建設され、その後はポデスタ宮殿へ。
今日の博物館になる前は、刑務所でした。
博物館には、ドナテッロ、ミケランジェロ、ヴェロッキオなどによる、イタリアの重要な彫刻が保存されています。
そしてダンテの肖像画が保存されているのもこの博物館です。

9.サンタ・クローチェ教会
チマーブエの十字架、バルディ礼拝堂にあるジョットのフレスコ画。
13世紀後半から14世紀初頭のフィレンツェの最も重要な作品がこの教会に保存されています。
もともとこの地域は湿地帯で城壁の外に位置していましたが、13世紀に埋め立てられ、この教会施設が建築されていきます。
大聖堂には、ミケランジェロ・ブオナローティ、ガリレオ・ガリレイ、ニッコロ・マキャヴェッリなどの歴的な人物の記念碑が残ります。
そして教会のファサードの左側には、ダンテ生誕600年を記念して1865年に作られたダンテの像を見ることができます。

10.サン・ミニアート・アル・モンテ修道院
この修道院があるのは、フィレンツェのパノラマを楽しむことができるミケランジェロ広場から、さらに丘の上に移動したところ。
1018年から1207年に建設された教会は、ロマネスク様式と初期ゴシック様式が混在します。
床を覆うミステリアスな模様、マーブルの大理石が使用されているファサード。そして祭壇上部の天井にはモザイク。
ダンテの「神曲」の煉獄の山を思わせるこの教会。
さらなら高みからは、フィレンツェの街の絶景を楽しむことができます。

【ダンテの痕跡をたどる ~フィレンツェ編 1/2 もチェックする】

記事参考:トスカーナ州観光局

ダンテスポットを動画でチェック

旅をさがす