ラッファエッロ500

2020.02.04

ラッファエッロ500 part.1

レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年、レオナルド500 として、2019年は様々なイベントが開催されました。
2020年の今年は、ラッファエッロ500 #Raffaello500(ラッファエッロ・サンツィオ没後500年)。
ルネッサンス期のイタリアを代表する画家にフォーカスを当てる年です。
Raffaello_Sanzio autoritratto
写真:ラッファエッロ自画像

ラファエッロが生きた時代、それはマニエリスムと今に残る西洋芸術を生み出した様々な芸術が存在した輝かしき時代。
彼の芸術は、1600年代を代表する芸術家、ルーベンス、ベラスケス、そしてカラヴァッジョなどに大きな影響を与えただけでなく、またその後のデラクロワ、ドミニク・アングル、そしてモネやダリに至るまでの時代にもインスピレーションを与えました。

ラッファエッロがこの世を去ったのは、1520年、37才の若さでした。
しかし、様々な出会い、そして芸術を生み出したその人生は、濃厚かつ充実していたと言えるかもしれません。

≪若き日のラッファエッロ≫

ラッファエッロ・サンツィオは、1483年3月28日にウルビーノで生まれました。
時はルネッサンス期。
当時のウルビーノでの生活で、彼の芸術家としての人生がスタートします。
というのも、彼の父親のジョヴァンニは、ウルビーノの宮廷家族にひいきされる芸術家として知られていたからです。
そのため、若き日のラッファエッロは、父親の工房でデザインや絵画の基礎を学んだのです。
ラッファエッロが初めて描いた絵画は、彼の生家(現在は博物館として公開)に収められているマドンナ・ディ・カーザ・サンティであり、まだ15才になったばかりの頃です。

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ドゥカーレ宮殿(マルケ州ウルビーノ)

父親が土地で知られた画家であったことから、ラッファエッロも当時のウルビーノの宮廷、ドゥカーレ宮殿に出入りし、ピエトロ・デッラ・フランチェスカといった、当時の著名な画家たちの絵画をその目で観る機会に恵まれたことも、彼にとっては幸運でした。
さらに、1494年に父親が亡くなってからは、ペルージャでペルジーノの工房にも通うようになり、1498年まで修行に励みました。
ペルージャの中心に残るコッレッジョ・デル・カンビオのフレスコ画ではグロテスク装飾を初めて経験。

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1499年、16才になったばかりでラッファエッロは、チッタ・ディ・カステッロに移り、最初の個人としての絵画依頼を受けます。
(作品は「Stendardo della Santissima Trinità」(現在チッタ・ディ・カステッロの美術館所蔵)と「Pala del beato Nicola da Tolentino(バロンチの祭壇画)」。)
その他にも貴重な作品を2点残した中に、多くの人が目にしたこともあるであろう、名作「聖母マリアの結婚」も含まれます。
この時期、彼自身、独自の絵画スタイルを確立していきました。

≪ラッファエッロの前進≫

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「聖母マリアの結婚」ミラノ、ブレラ美術館所蔵

しばらくすると、若き芸術家の噂は、ウンブリア州に聞こえるようになります。
当時のラッファエッロが描いたもの、それはコロンナ祭壇画、オッディの祭壇画そして聖母の被昇天、そしてその他の聖母子像(一部まだ師匠であったペルジーノのスタイルも見受けられる)など。

1503年頃、ラッファエッロはウンブリア州そしてウルビーノから離れ、フィレンツェへ向けて旅立ちました。
そしてそこでレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を初めて目にし、もう少し先となるローマでは古典芸術に、人生でこれもまた初めて触れることになります。
ピントゥリッキオにより、シエナに招かれたラッファエッロは、大聖堂内の「ピッコロ―ミニ家の図書室(Libreria Piccolomini)」のフレスコ画に携わります。

≪フィレンツェへ≫

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「ヒワの聖母」 ウッフィツィ美術館

レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの2人がフィレンツェで今は幻となった2つの絵画(ヴェッキオ宮殿内500人の間のアンギアーリの戦いとカシーナの戦い)に取り組んでいると、ラッファエッロが知ったとき、彼自身はシエナにいました。
そしてウルビーノ公の妹であるジョヴァンナ・フェルトリアに頼み、ピエロ・ソデリー二(当時のフィレンツェの政治家)へ自身の紹介状を書いてもらいます。
しかし、ピエロ・ソデリーニからは依頼をもらうことはできませんでした(ソデリーニはミケランジェロをかかえたことでの経済的な状況による)。
とはいえ、重要なプライベートの依頼を受けます。
ロレンツォ・ナージのために、現在はウッフィツィ美術館所蔵の「ヒワの聖母(Madonna del Cardellino)」を描くこと。
そして、ドメニコ・カニジャーニの義兄のために、現在はモナコのアルテ・ピナコテークに訴状されている「カニジャーニの聖家族(Sacra Famiglia Canigiani)と「テンピマドンナ(Madonna Tempi)」を描くこと。

この時期、その他にも聖母の絵画を描くことになります。
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オルレアンの聖母(フランス、シャンティ、コンデ美術館所蔵)

次回はその後、ローマへ
イタリア政府観光局ローマ本局サイトより

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