2021.11.18

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イタリアの背中の森に降り積もる凍えるような雪
「神曲」煉獄篇 第30歌
「イタリアの背中」、とダンテが記しているその場所は、イタリア半島の中心を南北約1,200㎞を走るアペニン山脈。
標高2,900mを超えるところもあり、豊かな自然が広がりますが、中世のころはフィレンツェからラヴェンナに抜けるまでの大きな難所でもありました。

地獄篇第16歌で出てくる「アクアケタの滝 – Cascata dell’Acquacheta」があるのもこのアペニン山脈、現在はフォレステ・カゼンティネージ国立公園となっています。

カゼンティーノはまた、古くからの重要な聖地や修道院が点在する、言わば“中世の島(Isola di Medioevo)”でもあります。
それぞれの丘は、その土地の封建領主が所有する城に属する古い住区となっており、ダンテも、亡命後はこうした土地の領主らの客人として、こうした場所で過ごしていたのです。


カゼンティーノ地区にある小さなカザリーノ村からの景色

こうした城で、ダンテは多くの手紙を書き、そして「神曲」にもその一節が反映されたのです。
その一つがポッピ村。
イタリアで最も美しい村々にも登録されている小さな村の中心には、ポッピ城があります。

12世紀に建てられたポッピ城は、別名「ダンテ城」としても知られ、1310年にダンテがフィレンツェから逃れてきた際、グイード伯により迎え入れられた城です。
グイード家は、当時のトスカーナ地域の有力な一族です。
ダンテはこの地で、ピサのウゴリーノ伯を記した地獄篇第33歌を書いたと言われています。
ポッピ城は、建築家ディ・カンビオによる建築であり、当時のフィレンツェのヴェッキオ宮殿の原型とも考えられており、現在も中を見ることができます。
内部の礼拝堂は、ジョットの一番弟子だったタッデオ・ガッディのフレスコ画により装飾されており、またリッリアーナ図書館には、25,000冊を超える中世とルネサンス期の細密画、インキュナブラ、写本【古書-装飾写本、インキュナブラ(最初期の活字印刷物)、中世・ルネサンスの写本】などが保存されています。

ポッピ城とダンテ像

≪ブリジゲッラ≫
同じく、イタリアで最も美しい村々に登録されているブリジゲッラ。
フィレンツェ~ファエンツァ~ラヴェンナへとつなぐ旧街道、ファエンティーナ街道(現在は列車でもつながれている)沿いにある村です。

この周辺は岩の多い地質で3つの丘があり、その上には特徴的な建物である、ロッカ・マンフレディアーナ(マンフレディ要塞)(14世紀)、モンティチーノ聖所(18世紀)、時計塔(19世紀)が今も残っています。
現在の要塞の建設は、14世紀の初めにファエンツァの領主であったフランチェスコ・マンフレディによって始められました。

マンフレディ要塞

村の起源は1200年代。
この地帯を含むファエンツァとイモラの支配者マギナルド・パガーニが、(皇帝派の)ロマーニャ地方から、(教皇派の)フィレンツェへの商業と交通を管理するため、岩の多いこの場所に守備塔を築いたことに始まります。

マギナルドは、1289年、ダンテも参加したカンパルディーノ戦いで、フィレンツェの教皇派側で戦いました。しかしその後、フォルリのオルデラッフィ家と同盟を結び、ロマーニャの皇帝派の擁護者となります。
トスカーナでは教皇派、一方でロマーニャでは皇帝派というこの矛盾に対し、ダンテは少なからず苛立っていました。
そのためか、ダンテは地獄篇第27歌で、イモラとファエンツァの支配者として直接的に名前は出していないものの、その人物の政治的な行いを激しく非難したのです。

ブリジゲッラの古い地区には、14世紀のものといわれる古道(ヴィア・デリ・アジーニ)があります。これは、防衛の為に造られた、高架道が建物の中に通っている世界唯一の特徴ある古道です。

内観

Brisighella_Via degli Asini Ph. Vanni Lazzari

外観

Brisighella_Via degli Asini Ph. Lorenzo Gaudenzi

 

≪情報提供≫
エミリア・ロマーニャ州:https://emiliaromagnaturismo.it/en
トスカーナ州:https://www.visittuscany.com/en/

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