
2021.12.03
«スピンオフ… 「神曲」天国篇ラヴェンナ≫
「元のカエサル、今は一介のユスティニアヌス」
Basilica di San Vitale_Photo © RavennaTourism
この歌で登場するユスティニアヌスは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の皇帝です。
ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の中にもその姿が刻まれています。
Unesco – Basilica of San Vitale_©RavennaTourism
(皇帝の王妃、テオドラのモザイク)
ラヴェンナはその東ローマ帝国の重要な拠点でした。
今も素晴らしいビザンツモザイクで彩られた教会が残り、世界遺産に登録されています。
Basilica di San Vitale_Photo © Wwikiwalter, via Wikimedia
ダンテがラヴェンナにいた当初、すでにこのモザイクは存在していました。
神曲では、この後にもラヴェンナの気配を感じることができます。
ダンテがラヴェンナに来たの正確な日は分かっていませんが、ヴェローナでの滞在後、出会ったラベンナ領主グイード・ダ・ポレンタの招待を受け入れ、ラヴェンナに来たとされています。グイード・ダ・ポレンタは、ダンテを手厚くもてなし、「神曲」を完成させる機会を与えた人物です。
ラヴェンナには、ダンテの娘アントニア(後にサント・ステファノ・デリ・ウリーヴィ修道院に入り、ベアトリーチェと改名)、そして2人の息子ピエトロとヤコポも同行していたと考えられています。
ラヴェンナでのダンテの痕跡は、特にお墓の周辺エリアで保存されています。
Dante’s tomb (2)_Photo © Giacomo Banchelli
Dante’s tomb (2)_Photo © Classense Library
ラヴェンナの中心であれば、ダンテの墓の周辺にあるサン・フランチェスコ教会、修道院、クアドラルコ・ディ・ブラッチョフォルテなどで同じ空気に触れることができるでしょう。
サン・フランチェスコ教会
Basilica_San_Francesco_1_Photo © RavennaTourism
祭壇下にある昔の礼拝堂
Basilica San Francesco_Photo © Nicola Strocchi_RavennaTourism
古い修道院
Ancient Franciscan cloisters_Photo © Nicola Strocchi
そして中心を離れた場所でも、煉獄篇第28歌で「深い林の奥に(la divina foresta spessa e viva)」と触れられた林は、この地にあるものをモデルにしているとされています。
Pineta di Classe (1)_Photo © RavennaTourism
Pineta di Classe (2)_Photo © RavennaTourism
そして天国篇第33歌(最終歌)では、ユスティニアヌス帝への想いとともに、素晴らしいモザイクに輝かしい平和の光を見ているのです。
プラチディア霊廟外観と内観
Mausoleum of Galla Placidia (1)_Photo © _©isatz, WikiLomeMonuments 2017
1321年、ダンテは、ヴェネツィアへの大使として派遣されましたが、旅の途中で高熱に襲われ、ラヴェンナへ引き返します。そしてその年の9月13日~14日の夜にこの世を去りました。
≪情報提供≫
ラヴェンナ観光局